【動画CA#01】高校生が考える コロナが教えてくれたこと

【令和2年夏】遠隔授業なんて・・・・学校に行く意味とは? 学びとはなに? コロナと真正面から向き合った学生達の言葉をまとめてみました。コロナが猛威をふるう初年度夏の学校の貴重な様子を伺えることができます

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“アフターコロナ”

徳山高専はものづくりについて学ぶ学校だが、
授業は遠隔でしか行えないため、
実験や実習などの活動は一切行われなかった。

授業は生配信で行う形式と
事前に撮影された授業動画を視聴する形式の
2つの形式で行われるが、
学生同士で話し合いが行われることや
学生と教員の双方向のコミュニケーションは一切無い。
3月から6月までは学校に行くことや、
部活動を行うことは禁止されていた。

遠隔授業の長所は、
「学校に行かずに授業を受ける」ことが出来る、
時間・場所の制限を受けない点が挙げられる  

一方、学生にとって、遠隔授業は
毎日誰もいない部屋で一人授業を受け、
誰とも話さない生活を過ごすことであり、

変化が無く、
出会いも無く、
無駄も無く、
楽しさも無い。

ただ課題をこなすだけの日々が続くばかりだった。

遠隔授業によって学生は「多くの課題」を強いられている。

何より、「形の無い学校」には
学生同士の直接的な関わりが無い。

学生同士の関わりが無いことは
学生が存在しないことに等しい。

遠隔授業は「学校」として成立していないと言えるだろう。

同時に私たちはコロナによって多くことに気づかされた。

学校に行かなくても授業を受けられる
学校に行く意味とは何か?
授業を聞くだけの学校に意味はあるのか?

私達は何のために学校に行くのか?

コロナが起きる以前の学校の問題点とは何か?
 「学校という場所」に集まることで学生は何を得るのか?

コロナによって私たちは学校に行きたい、
友達に会いたいという思いがより強くなった

コロナによる学校の変化は私達だけに起きたことでは無い。

教員や、事務の方々も一緒だ。
そこで私達は彼らにコロナによる変化や気づきを
アンケートやインタビューを通して聞いた。
その中で最も多かった意見は

「学生に会いたい」という意見だった。

直接会わなければ、
コミュニケーションは不完全になり、
楽しさを共有することも出来ない。
誰もいない学校には何も生まれない・・・・・と。

学びとは
人と出会い、人との違いを感じ、
自分の好きを見つけて、
自分の意思で知識や経験を得ることだと私達は考える。

ただ授業を聞くだけの「勉強」とは違う。
「学校という場所」は学生が社会に出る前に

自分自身をつくる場所になる。

そこで、私達は
「人をつくり、学びをつくり、自分をつくる場所」となる
「つくる校舎」を提案する。

「つくる校舎」は静かな図書室でもなければ、
静かな教室でもない。
「学校という場所」の中にあるからこそ、

学生が集まり、学生が自分自身をつくることが出来る場所だ。

もしも、コロナが起きていなければ、

私達は学校を疑い、自分自身を疑い、
学びを疑うことは出来なかった。

アフターコロナで他者との距離が離れても、
社会の形が変わっても、

私達は「学校という場所」に集まりたい。

コロナで失った出会いと学びを取り返すために。
自分自身をつくるために。

コロナで多くのことに気づいた今があるからこそ、

私達は「つくる校舎」について考えている

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